NPO法人 美えな塾の片山やよいです。
先日、コミュニケーションの話をしていた時に出た言葉。
「人との付き合いが深くなればなるほど。人間の汚さに触れる。」
私が言った言葉です。
この汚さは相手と私。の両方にあるということ、です。
自分が純粋だったら、あいつ汚いな・・・なんて思わないはずですから。自分にもある。それがわかるから、目の前に現れると、人はそれを避けたくなるんです。
だからコミュニケーションがうまくなりたい人は、自分のなかの汚さを徹底的にみていくのも手だと思います。
大丈夫ですよ。みんな。あるから。
そして、今まで必死に隠してきたことも。きっと他人にとっては、たいしたことないことです。
でも子育てしている時って、自分は聖人君主だったのか?というくらい、綺麗に、正しく育てていませんか?
私は、息子を育てて2歳くらいの時に、迷宮入りし。自分ができてないのになんで息子にばかり要求しているんだろう?って思ったことがあります。
子供はまっさらだから私の教育次第で、私よりまっすぐ、育ってくれるんじゃないか?という期待があったのかもしれません。
でも、息子からしたら、そのまんまの私しか目の前にいない。
私に対して、幼いながらも、違和感と不信感が湧いてくるわけです。
(まーーあの頃は育児が辛かった!)
この違和感と不信感をそのままにしておくと、子供が親の身長を超えた時に、全力で反抗されるのだと思います。
(途中で気づいて本当に良かったです)
赤ちゃんは、ぐじゃぐじゃなことをして、五感を育てます。
その時に親の判断で汚い。
と言って辞めさせると、せっかく育とうとしていた五感は途中まで。となる。
そして、汚いことはいけないことだと毎日刷り込まれたら。
そして自分の意思を通そうと全力で喧嘩しようとして、止められたら。
子供はママの笑顔が大好きです。
ママの笑顔のためなら
自分しか感じないたったひとつの大事なものを無視して、なくして、ママの笑顔を大事にしてくれます。
それがその子にとっての最善なんです。
そして、いつか自分の意思がどこにあるのか?私は何を感じているのか?わからなくなる。
人とコミュニケーションしていくことが面倒になる。
人と深く、コミュニケーションすると、自分の気持ちが、意思が、出てきてしまうから。
今まで頑張って、抑えてきたのに。
自分の意思を大事にしたら、トラブルになると思い込んでいる。
汚い自分も見えてきてしまう。知らなかったら相手のことも嫌いにならなかったかもしれないのに。
だから人と深く付き合うのをやめる。
人と深く付き合えば付き合うほど汚さと自分の未熟さと向き合う羽目になる。
そんなものはみたくない。
砂を触れない子供は将来、セックスレスになりやすい。と聞いたことがあります。
本当かどうかはわかりません。
ただ、不登校になった子供の訓練校では、箱庭を作る、という作業が最初なんだそうです。
砂を触る訓練から始まるそうです。
赤ちゃんの時には赤ちゃんの時にしかできない
グチャグチャ。
砂遊び。
取っ組み合いの喧嘩。
これらができる環境を提供してあげられるような器の親になること。
実は、私は一人ではできなかった。
でも一緒にそだね〜〜〜って思う人同士でなら
「見守る」ことができるはず。
どうしても自分の子供には厳しくなっちゃうんです。親は。
でも人の子を預かって育てるように、仲間で育てる。
実は。。。そんなことを始めて欲しいな・・・という思いも込めて
毎月子育てサロンをやっています。